610219 長野県/根曲竹 魚びく 中・大 2サイズ
長野県戸隠では、暮らしの中で使われる道具として
ざる、びく、目かご(茶碗かご)、箕(み)の4つを
代表的な根曲竹細工(ねまがりたけさいく)としています。
こちらはその中の1つでもあり、
主にさかなを採取するときに使われる、「魚びく」です。
南北に縦断する日本アルプス山脈が連なる長野県には、
それに付随して千曲川、木曽川、天竜川をはじめとした名川も数多くあります。
他県からも渓流釣りを楽しまれる方々が多数いらっしゃるほどのエリアと聞きます。
そんな水にも恵まれた長野ならではの竹細工の一つ、
魚びくの中、大の2サイズをご紹介します。
材料となる根曲竹(チシマザサとも呼ばれます)は、山に自生している2メートル前後の細い竹で、
多くは本州北部の山間部や北海道の雪深い地域に分布しています。
根曲竹は根元の付近から曲がっていることから、地元ではその名で呼ばれており、
雪の重みをいなすために斜めに生え、成長とともに上に伸びるので根に近い部分が曲がるとのこと。
戸隠では、職人が自ら山に入り根曲竹を採取してきて、それを細工用に加工しています。
また、戸隠竹細工のざると同じように、「びく」もかごの編む部分によって、
一年目のもの、二年目のものというように生育年数が異なる竹を使います。
例えば、胴部分のまわしひごは二年目以上のものを使い、
縁の部分は一年目の若い竹を使う、というように、
生育年数が異なると竹の質(硬さなど)も変わってくるため、
ひごの曲げる角度を考慮し、適した竹を使って編まれた、まさに手の込んだ一品です。
こちらは中サイズです。
根曲竹の素朴さと、草花や枝物のいきいきとした雰囲気がとても合うように思います。
こちらは大サイズです。
ヤマメやイワナ、ニジマスにアマゴなどの渓流釣り用に、
味わい深い道具でゆっくりと釣りを楽しまれるのはいかがでしょうか。
または、花を活けたり、収納かごとして。
くずかごとしてお使いになられる方もいらっしゃいます。
無駄なく簡潔、そして丈夫で滋味深く美しい。
風情が感じられる不思議な魅力を持つびくです。
どちらかお好みの大きさをお選びください。
<長野県戸隠の根曲竹細工>
江戸時代初期から戸隠中社地区の人々の生活の糧として始まりました。
平地が少なく水田がない戸隠においては竹が年貢として特例で認められるほど、
暮らしと竹が密接に関わりあっていました。
明治時代から昭和中期にかけては養蚕業が盛んになるにつれて、
蚕籠(かいごかご)の需要が高まり、根曲竹細工の生産量、職人数ともに最盛期を迎えました。
材料採取は、国有林から伐採の権利を借りて行われており、
大切な資源保護のため、春のタケノコの時期には乱獲されないよう
「筍番」を竹細工生産組合の組合員が交代で行っています。
そうして採取された根曲竹は、表面を磨いて四つ割りにされ、皮と身を分けてひごにされ、編まれていきます。
仕上がりの美しさと丈夫さ、そして根曲竹独特の温もりを感じる実用品の数々は、
現代でも広く愛用されており、色味などが経年変化をする楽しみも味わうことができます。
長野県戸隠では、暮らしの中で使われる道具として
ざる、びく、目かご(茶碗かご)、箕(み)の4つを
代表的な根曲竹細工(ねまがりたけさいく)としています。
こちらはその中の1つでもあり、
主にさかなを採取するときに使われる、「魚びく」です。
南北に縦断する日本アルプス山脈が連なる長野県には、
それに付随して千曲川、木曽川、天竜川をはじめとした名川も数多くあります。
他県からも渓流釣りを楽しまれる方々が多数いらっしゃるほどのエリアと聞きます。
そんな水にも恵まれた長野ならではの竹細工の一つ、
魚びくの中、大の2サイズをご紹介します。
材料となる根曲竹(チシマザサとも呼ばれます)は、山に自生している2メートル前後の細い竹で、
多くは本州北部の山間部や北海道の雪深い地域に分布しています。
根曲竹は根元の付近から曲がっていることから、地元ではその名で呼ばれており、
雪の重みをいなすために斜めに生え、成長とともに上に伸びるので根に近い部分が曲がるとのこと。
戸隠では、職人が自ら山に入り根曲竹を採取してきて、それを細工用に加工しています。
また、戸隠竹細工のざると同じように、「びく」もかごの編む部分によって、
一年目のもの、二年目のものというように生育年数が異なる竹を使います。
例えば、胴部分のまわしひごは二年目以上のものを使い、
縁の部分は一年目の若い竹を使う、というように、
生育年数が異なると竹の質(硬さなど)も変わってくるため、
ひごの曲げる角度を考慮し、適した竹を使って編まれた、まさに手の込んだ一品です。
ヤマメやイワナ、ニジマスにアマゴなどの渓流釣り用に、
味わい深い道具でゆっくりと釣りを楽しまれるのはいかがでしょうか。
または、花を活けたり、収納かごとして。
くずかごとしてお使いになられる方もいらっしゃいます。
無駄なく簡潔、そして丈夫で滋味深く美しい。
風情が感じられる不思議な魅力を持つびくです。
どちらかお好みの大きさをお選びください。
<長野県戸隠の根曲竹細工>
江戸時代初期から戸隠中社地区の人々の生活の糧として始まりました。
平地が少なく水田がない戸隠においては竹が年貢として特例で認められるほど、
暮らしと竹が密接に関わりあっていました。
明治時代から昭和中期にかけては養蚕業が盛んになるにつれて、
蚕籠(かいごかご)の需要が高まり、根曲竹細工の生産量、職人数ともに最盛期を迎えました。
材料採取は、国有林から伐採の権利を借りて行われており、
大切な資源保護のため、春のタケノコの時期には乱獲されないよう
「筍番」を竹細工生産組合の組合員が交代で行っています。
そうして採取された根曲竹は、表面を磨いて四つ割りにされ、皮と身を分けてひごにされ、編まれていきます。
仕上がりの美しさと丈夫さ、そして根曲竹独特の温もりを感じる実用品の数々は、
現代でも広く愛用されており、色味などが経年変化をする楽しみも味わうことができます。
長野県戸隠では、暮らしの中で使われる道具として
ざる、びく、目かご(茶碗かご)、箕(み)の4つを
代表的な根曲竹細工(ねまがりたけさいく)としています。
こちらはその中の1つでもあり、
主にさかなを採取するときに使われる、「魚びく」です。
南北に縦断する日本アルプス山脈が連なる長野県には、
それに付随して千曲川、木曽川、天竜川をはじめとした名川も数多くあります。
他県からも渓流釣りを楽しまれる方々が多数いらっしゃるほどのエリアと聞きます。
そんな水にも恵まれた長野ならではの竹細工の一つ、
魚びくの中、大の2サイズをご紹介します。
材料となる根曲竹(チシマザサとも呼ばれます)は、山に自生している2メートル前後の細い竹で、
多くは本州北部の山間部や北海道の雪深い地域に分布しています。
根曲竹は根元の付近から曲がっていることから、地元ではその名で呼ばれており、
雪の重みをいなすために斜めに生え、成長とともに上に伸びるので根に近い部分が曲がるとのこと。
戸隠では、職人が自ら山に入り根曲竹を採取してきて、それを細工用に加工しています。
また、戸隠竹細工のざると同じように、「びく」もかごの編む部分によって、
一年目のもの、二年目のものというように生育年数が異なる竹を使います。
例えば、胴部分のまわしひごは二年目以上のものを使い、
縁の部分は一年目の若い竹を使う、というように、
生育年数が異なると竹の質(硬さなど)も変わってくるため、
ひごの曲げる角度を考慮し、適した竹を使って編まれた、まさに手の込んだ一品です。
胴部分は、縦ひごを2本1セットにし、横ひごを交互に編んでいく「ござ目編み」という技法で仕上げています。
横ひごには二年目以上の竹を用いています。一年目の若竹に比べて艶が増し、硬いのが特徴です。
縁にも二年目以上の乾燥させた硬い竹、割らずに丸いままの竹を2本芯材として使っています。
縁を巻く竹は「巻き竹」と呼ばれる、若竹を用います。黄色くなるまで天日で干すことで、さらにしなやかさを増します。
この「巻き竹」は若竹の中でも採取期間が約1か月弱と短いため、材料に困らないようにと親から子へと代々材料が受け継がれている貴重な竹で、60年以上前の材料もあるということです。
底部分です。こちらも二年目以上の竹を使い、「筏底(いかだぞこ)」仕上げで作られた、丈夫な底になっています。きのこびくには、真竹を使うこともありますが、こちらの魚びくは全て根曲竹のみで仕上げられています。
長野の魚びく特有のふっくらとした形が愛嬌があります。
そして、魚用のびくには、口部分の近くにこのようなくびれがついています。ここにお好みで縄などをかけて腰に提げてお使いいただいても。
時折かごの表面に、黒く変色した部分がありますが、これは竹の表面についたシミのようなもののため、自然な模様として見ていただければと思います。
それでは、サイズごとにご紹介します。
こちらは中サイズです。
根曲竹の素朴さと、草花や枝物のいきいきとした雰囲気がとても合うように思います。
こちらは大サイズです。
ヤマメやイワナ、ニジマスにアマゴなどの渓流釣り用に、
味わい深い道具でゆっくりと釣りを楽しまれるのはいかがでしょうか。
または、花を活けたり、収納かごとして。
くずかごとしてお使いになられる方もいらっしゃいます。
無駄なく簡潔、そして丈夫で滋味深く美しい。
風情が感じられる不思議な魅力を持つびくです。
どちらかお好みの大きさをお選びください。
<長野県戸隠の根曲竹細工>
江戸時代初期から戸隠中社地区の人々の生活の糧として始まりました。
平地が少なく水田がない戸隠においては竹が年貢として特例で認められるほど、
暮らしと竹が密接に関わりあっていました。
明治時代から昭和中期にかけては養蚕業が盛んになるにつれて、
蚕籠(かいごかご)の需要が高まり、根曲竹細工の生産量、職人数ともに最盛期を迎えました。
材料採取は、国有林から伐採の権利を借りて行われており、
大切な資源保護のため、春のタケノコの時期には乱獲されないよう
「筍番」を竹細工生産組合の組合員が交代で行っています。
そうして採取された根曲竹は、表面を磨いて四つ割りにされ、皮と身を分けてひごにされ、編まれていきます。
仕上がりの美しさと丈夫さ、そして根曲竹独特の温もりを感じる実用品の数々は、
現代でも広く愛用されており、色味などが経年変化をする楽しみも味わうことができます。