410701 秋田県/イタヤカエデ・ヤマウルシ 太平箕(おえだらみ) 4サイズ
昭和30年代、秋田県内でわかっているものだけでも7箇所でそれぞれ箕が作られていました。それぞれの地域で近くの農家に対して、取りやすい材料で使いやすい形の箕を作っていました。
その中でもこちらは現在の秋田市の太平黒沢地区で作られている太平(おえだら)箕です。元々は「大江平箕」と書きました。その美しい白さが目を惹きます。
使い方としては稲刈りした後の脱穀や選別の工程で使うことが多かったようです。
脱穀した籾(もみ)とごみや塵を分けるため、ふるって飛ばすために使ったり、米選機(べいせんき)による選別の時に下において受けたりしていました。また、その受けたものを米俵や米袋に入れるために運んだり、じょうごを使って移したりしていました。
それでは、4タイプを順番にご紹介していきます。
まずは、一番大きな一斗箕(いっとみ)と言われるサイズです。
続いて、五升箕と呼ばれる2番目に大きいサイズです。
次は「木灰(あく)取り箕」という少し変わった名前のタイプです。
名前の通り、木灰(産地では「あく」と呼びます)を取ったり、
運んだりするのに使われていたとのことです。
最後は「短冊箕(たんざくみ)」と呼ばれるものです。
農家仕事をせずに、箕づくりだけで家族を支えてきた
この職人さんが作る太平(おえだら)箕はとにかく丈夫で美しい仕上がりです。
写真:灰汁取り箕
箕は福をすくう縁起物とされています。
農業をされていなくても、壁に飾るだけでも大変味わい深いものがあります。
実用では、穀物はもちろんのんこと、庭仕事では収穫物を投げ入れたり、
運搬したりや選別したりするときに重宝します。野菜や山菜を干すのもいいですよね。
お店をされている方は他にはないこの自然素材の白さで
食材をのせたり、陳列道具やディスプレイとしても目を引くことと思います。
実用にも飾りにも、どちらの役割でも不足はありません。
お好みのサイズをお選びください。
<秋田県の箕づくり>
昭和30年代には県内7ヶ所でそれぞれ独自の箕が作られていました。
・太平(おえだら)箕・・・秋田市周辺
・雲然(くもしかり)箕・・・角館市周辺
・心像(こころやり)箕・・・大仙市周辺
・摩当(まとう)箕・・・北秋田市周辺
・三ツ又(みつまた)箕・・・横手市周辺
・馬場目(ばばのめ)箕・・・五城目町周辺
・笹子(じねご)箕・・・由利本荘市周辺
秋田市の太平黒沢地区では、
昭和中期の最盛期には地区内の120軒が箕づくりに従事し、年間5万~7万枚を生産していました。
月間各世帯100枚は作っていたとのことです。
当時は県外の青森県の農協や山形県の養蚕業関係の方からも頼まれて納めていたこともあり、
県外からの収入はお米の次がこの箕だったそうです。
現在は太平箕(おえだらみ)と雲然箕(くもしかりみ)の2地区のみ、
作り手がおり、太平箕の作り手はたったお一人となっています。
昭和30年代、秋田県内でわかっているものだけでも7箇所でそれぞれ箕が作られていました。それぞれの地域で近くの農家に対して、取りやすい材料で使いやすい形の箕を作っていました。
その中でもこちらは現在の秋田市の太平黒沢地区で作られている太平(おえだら)箕です。元々は「大江平箕」と書きました。その美しい白さが目を惹きます。
使い方としては稲刈りした後の脱穀や選別の工程で使うことが多かったようです。
脱穀した籾(もみ)とごみや塵を分けるため、ふるって飛ばすために使ったり、米選機(べいせんき)による選別の時に下において受けたりしていました。また、その受けたものを米俵や米袋に入れるために運んだり、じょうごを使って移したりしていました。
このページでご紹介するのは4種類です。どれも基本的な作りは同じです。 縦に藤(ふじ)の蔓を使っていましたが、現在は、材料採取が困難となり、ヤマウルシを代用しています。横にイタヤカエデを使用しています。ヤマウルシ、イタヤカエデは丸太から割っていき、それをテープ状にしたものを使用しています。 きれいに面取りされたイタヤカエデとヤマウルシがよくかみ合い、入れた穀物が詰まったり、漏れないよう、しっかりとすき間を埋めています。 先端部分もピシッときれいに決まっています。 奥の方には、桜の皮の補強が入っています。また、これは補強であり、デザインであり、作った人がわかる印とも言われています。 内側の角は箕の作り方に特徴的な、正面と側面をあじろ編みで縫い合わせる部分が見えます。 裏返してみると、二つの面が見事にしまい込まれています。 背面も同様に美しいです。茶色く見えるのは、藤の枝の芯の部分に時々出る自然の色ですが、現在はヤマウルシのため、真っ白です。 縁は2本の根曲竹が使われています。その2本の根曲竹で編み目を挟む形です。 そして、イタヤカエデでぎっちりと巻いていきます。これは背面の部分です。 手で持つようなところは全て、すき間なく巻いていきます。先端部に行くと、根曲竹が見えます。
それでは、4タイプを順番にご紹介していきます。
まずは、一番大きな一斗箕(いっとみ)と言われるサイズです。
続いて、五升箕と呼ばれる2番目に大きいサイズです。
次は「木灰(あく)取り箕」という少し変わった名前のタイプです。
名前の通り、木灰(産地では「あく」と呼びます)を取ったり、
運んだりするのに使われていたとのことです。
最後は「短冊箕(たんざくみ)」と呼ばれるものです。
農家仕事をせずに、箕づくりだけで家族を支えてきた
この職人さんが作る太平(おえだら)箕はとにかく丈夫で美しい仕上がりです。
箕は福をすくう縁起物とされています。
農業をされていなくても、壁に飾るだけでも大変味わい深いものがあります。
実用では、穀物はもちろんのんこと、庭仕事では収穫物を投げ入れたり、
運搬したりや選別したりするときに重宝します。野菜や山菜を干すのもいいですよね。
お店をされている方は他にはないこの自然素材の白さで
食材をのせたり、陳列道具やディスプレイとしても目を引くことと思います。
実用にも飾りにも、どちらの役割でも不足はありません。
お好みのサイズをお選びください。
<秋田県の箕づくり>
昭和30年代には県内7ヶ所でそれぞれ独自の箕が作られていました。
・太平(おえだら)箕・・・秋田市周辺
・雲然(くもしかり)箕・・・角館市周辺
・心像(こころやり)箕・・・大仙市周辺
・摩当(まとう)箕・・・北秋田市周辺
・三ツ又(みつまた)箕・・・横手市周辺
・馬場目(ばばのめ)箕・・・五城目町周辺
・笹子(じねご)箕・・・由利本荘市周辺
秋田市の太平黒沢地区では、
昭和中期の最盛期には地区内の120軒が箕づくりに従事し、年間5万~7万枚を生産していました。
月間各世帯100枚は作っていたとのことです。
当時は県外の青森県の農協や山形県の養蚕業関係の方からも頼まれて納めていたこともあり、
県外からの収入はお米の次がこの箕だったそうです。
現在は太平箕(おえだらみ)と雲然箕(くもしかりみ)の2地区のみ、
作り手がおり、太平箕の作り手はたったお一人となっています。
昭和30年代、秋田県内でわかっているものだけでも7箇所でそれぞれ箕が作られていました。それぞれの地域で近くの農家に対して、取りやすい材料で使いやすい形の箕を作っていました。
その中でもこちらは現在の秋田市の太平黒沢地区で作られている太平(おえだら)箕です。元々は「大江平箕」と書きました。その美しい白さが目を惹きます。
使い方としては稲刈りした後の脱穀や選別の工程で使うことが多かったようです。
脱穀した籾(もみ)とごみや塵を分けるため、ふるって飛ばすために使ったり、米選機(べいせんき)による選別の時に下において受けたりしていました。また、その受けたものを米俵や米袋に入れるために運んだり、じょうごを使って移したりしていました。
このページでご紹介するのは4種類です。どれも基本的な作りは同じです。 縦に藤(ふじ)の蔓を使っていましたが、現在は、材料採取が困難となり、ヤマウルシを代用しています。横にイタヤカエデを使用しています。ヤマウルシ、イタヤカエデは丸太から割っていき、それをテープ状にしたものを使用しています。 きれいに面取りされたイタヤカエデとヤマウルシがよくかみ合い、入れた穀物が詰まったり、漏れないよう、しっかりとすき間を埋めています。 先端部分もピシッときれいに決まっています。 奥の方には、桜の皮の補強が入っています。また、これは補強であり、デザインであり、作った人がわかる印とも言われています。 内側の角は箕の作り方に特徴的な、正面と側面をあじろ編みで縫い合わせる部分が見えます。 裏返してみると、二つの面が見事にしまい込まれています。 背面も同様に美しいです。茶色く見えるのは、藤の枝の芯の部分に時々出る自然の色ですが、現在はヤマウルシのため、真っ白です。 縁は2本の根曲竹が使われています。その2本の根曲竹で編み目を挟む形です。 そして、イタヤカエデでぎっちりと巻いていきます。これは背面の部分です。 手で持つようなところは全て、すき間なく巻いていきます。先端部に行くと、根曲竹が見えます。
それでは、4タイプを順番にご紹介していきます。
まずは、一番大きな一斗箕(いっとみ)と言われるサイズです。
続いて、五升箕と呼ばれる2番目に大きいサイズです。
次は「木灰(あく)取り箕」という少し変わった名前のタイプです。
名前の通り、木灰(産地では「あく」と呼びます)を取ったり、
運んだりするのに使われていたとのことです。
最後は「短冊箕(たんざくみ)」と呼ばれるものです。
農家仕事をせずに、箕づくりだけで家族を支えてきた
この職人さんが作る太平(おえだら)箕はとにかく丈夫で美しい仕上がりです。
写真:灰汁取り箕
箕は福をすくう縁起物とされています。
農業をされていなくても、壁に飾るだけでも大変味わい深いものがあります。
実用では、穀物はもちろんのんこと、庭仕事では収穫物を投げ入れたり、
運搬したりや選別したりするときに重宝します。野菜や山菜を干すのもいいですよね。
お店をされている方は他にはないこの自然素材の白さで
食材をのせたり、陳列道具やディスプレイとしても目を引くことと思います。
実用にも飾りにも、どちらの役割でも不足はありません。
お好みのサイズをお選びください。
<秋田県の箕づくり>
昭和30年代には県内7ヶ所でそれぞれ独自の箕が作られていました。
・太平(おえだら)箕・・・秋田市周辺
・雲然(くもしかり)箕・・・角館市周辺
・心像(こころやり)箕・・・大仙市周辺
・摩当(まとう)箕・・・北秋田市周辺
・三ツ又(みつまた)箕・・・横手市周辺
・馬場目(ばばのめ)箕・・・五城目町周辺
・笹子(じねご)箕・・・由利本荘市周辺
秋田市の太平黒沢地区では、
昭和中期の最盛期には地区内の120軒が箕づくりに従事し、年間5万~7万枚を生産していました。
月間各世帯100枚は作っていたとのことです。
当時は県外の青森県の農協や山形県の養蚕業関係の方からも頼まれて納めていたこともあり、
県外からの収入はお米の次がこの箕だったそうです。
現在は太平箕(おえだらみ)と雲然箕(くもしかりみ)の2地区のみ、
作り手がおり、太平箕の作り手はたったお一人となっています。